REPORT
New Economy

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2020.11.12 (THU)
18:00 @
【レポート】創造的働き方のレシピ 〜働き方新時代への提言-主体的、創造的に働くためのヒント〜

新型コロナウィルス感染症(COVID-19)は、「働き方」の形を変えた。そして私たち自身の「意識」にも大きな変化をもたらした。「自分が本当にやりたいことはなんだろう」と、あらためて己を見つめ直す機会になったという方も多いだろう。

働くことは本来、自己実現の手段でもあり、社会や未来をよりよくしていくための創造的な行為だったはずである。しかし、資本主義は人々を社会の歯車にしてしまう危険性も孕んでいた。

これからより充実した人生を送っていく上で、私たちはどう働いていけばいいのだろうか。「働き方」の現在地と、その先に見える新たなエコノミーについて、1人のカタリスト、5人のパティシパントとセッションした模様をお届けする。


[パティシパンツ]

軽部拓

髙市 康太

小野田 豪祐

十河 翔

福永夏輝


#創造性  #働き方  #ワークスタイル 

UoCのMANDALAより配信



UNIVERSITY of CREATIVITY(UoC) NEW ECONOMY Fieldでは、「私たちは幸せに生きることができる、より良い経済・世界をどのように創造していくのか? その世界で私たちのクリエイティビティをどう発揮していくのか」ということをテーマに、年間を通じてさまざまなカタリストとセッションを行っている。

 

今回のテーマは「働き方」。「働く」ということは生きることそのものであり、幸福な生き方を考える上で、外せない主題である。「働き方改革」というフレーズが叫ばれるようになって久しく、労働時間の短縮や、副業の推奨など、働き方のスタイルや価値観はここ数年で随分と様変わりしてきている。そんな時代の潮流を、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が不可逆的なまでに加速させたと言える。

 

今後、働き方はどのように変わっていくのか。一つ言えることは、テクノロジーが私たちの可能性を広げてくれるということである。時間や空間に縛られない、もっと言えば介護や子育てが制約にならない、性別、国籍などさまざまな壁を越えて選択肢を持つことができる、そういう時代が来るのではないかと私たちは期待をしている。

 

今回のカタリストである仲暁子(ウォンテッドリー株式会社 代表取締役CEO)は、人と人をつなげることにより、個人の可能性を最大限に広げるサービス、まさに人々をエンパワメントするプロダクト作りに取り組んできた人物だ。一人一人が主体性を持ち、創造的に働くことができる社会を実現するために私たちはどうすればいいのか、『創造的働き方のレシピ』と題し、5人のパティシパントとのディスカッションを通じて、そのヒントを探った。

 



「創造的な仕事」とは、自ら意義を作り出すこと

 

冒頭で仲は、「独断と偏見ベースの意見」と断りながらも、現在の日本の働き方が、アメリカのように流動的になってきていると指摘する。

 

仲:日本も10年くらい前までは、一つの企業に一生勤めるという考え方が当たり前だったと思うんですけど、そこには良くも悪くも、個々人を会社や組織が責任を持って最後まで守ってくれるという風土がありました。ところが日本企業がグローバルの競争にさらされる中で、需要がなければ給与が下げられるという、市場原理のダイナミズムの中で働くことが余儀なくされています。なので今後は二極化が進むと思っていて、すごく能力のある人は自分で起業したり、フリーランスになったりして成功できるでしょうし、一方で、ハンディキャップを持ちながら社会を生きなければいけない人もいらっしゃるので、そこは非経済セクター、政府などがどのような保障をしていくかという問題になると思います。

 

では働き方が流動化し、一人一人が主体性を持って生きていく社会において、“創造的な働き方”とはなんだろうか?

 

仲:従来、経済の枠組みにおいて“創造性”とは、お腹を満たしたい、遠くまで速く移動したいといった、課題解決のための“クリエイティビティ”を指しました。ところが現代はかつてのような大きな課題がなくなってきています。なので、求められているのは課題を解決する力というよりも、むしろ課題を提案したり、問題を定義したりする力。コモディティ化しているものにコンセプトや意義を付けて、その意義を購入してもらう。そういった、意義やパーパスの創造が、働く上での“創造性”なのかなと思います。


仲暁子(ウォンテッドリー株式会社  代表取締役CEO)


「パーパス」というフレーズが出たところで、普段広告会社で発想を豊かにためのツールやシステムを開発している軽部拓から、「パーパスと主体性」というテーマで、仲に質問が向けられた。軽部によると、これまで「アイデア」は、人々が「会社」という場に寄り合って発想をぶつけ合うことで生まれていたが、コロナ禍によって人が集まれなくなってしまった。しかし、テクノロジーによってネットワークが広がり、会社という枠組みを超えて交流ができるようになったことで、むしろ発想の掛け算は広がりを見せているという。今後、個々人が会社という枠に縛られず主体的に動き出した時、企業が掲げるパーパスとの齟齬が生まれるのではないかと軽部は懸念を抱く。

 

軽部:会社として設定した一つの大きなパーパスと、社員一人一人の主体性が噛み合わないという問題が、特に大企業で起きやすいのではないかと思うんです。であれば、パーパスもレイヤーを落として、プロジェクトごとに定義していく必要があるのではないでしょうか。

 

仲も「大企業の掲げるパーパスは、より抽象的な高レイヤーのものがいいかもしれません」と同意をする。一方で、最上位レイヤーのパーパスがあまりにも普遍的すぎると、企業のカラーがなくなって、特に若い人材は尖った企業に流れてしまうかもしれないというデメリットも挙げる。

 

仲:それに、短期的には確かに会社の中でプロジェクトごとにパーパスを定義することは重要かもしれないですけど、長期的なトレンドとしては、プロジェクトごとに働き手が会社を変えていくという、もはやそういう世界になっていくのかもしれないですね」

 




幸せの尺度は多様化していくが、働く上で依然「お金」は大事

 

続いて話題は、仲が冒頭で触れた「二極化」というテーマに移った。広告代理店で営業している髙市康太は、働き方の変化によってもたらされる二極化を「自分がエンパワーを感じる深さやレベルの二極化」だと捉えているという。

 

髙市:テレワークが進み、社員一人一人のスキルがあぶり出されるようになったことで、例えば何もないゼロのスクラッチから新しいバリューを生むという大きなチャレンジを達成した時にエンパワーされると感じる人もいれば、メールの書き方や電話の受け答えを褒められて日々エンパワーを感じる人もいたりと、そこのレベルのギャップがものすごく広がってくるだろうなと思うんですよね。

 

仲は、今の話と「エンパワメント」のコンテキストが違うかもしれないと前置きしつつ、「二極化とエンパワメント」という観点から、テクノロジーで人々がエンパワメントされることで、経済的な二極化の底は、底上げされているという話を切り出した。

 

仲:仮にベーシックインカムが導入されて毎月10万円しか所得がなかったとしても、地方に住めばたぶん2万円で4LDKの家に住めたりとか、海外旅行に行きたいとか思わなければ、ネットフリックスとかで月額1,000円でもかなりの面白いエンターテイメントを得られたりとか、あとは真冬にコンビニでパイナップルを買えるなんて、昔の人からしたらあり得ないぜいたくですよね。

 

消費生活においては、人々の幸福を測る尺度は「お金」だけに依存しない、多様化が進んでいる。しかし「働く」という局面においては、依然として「お金」はとても重要であると仲は念押しする。

 

仲:弊社でも『仕事で心躍る人を増やす』という理想を掲げてはいますが、仕事にやりがいがあってもお金がともなわなければ“やりがい搾取”になってしまいますし、サステナビリティではありません。これはいろいろな研究でわかっていることなのですが、仕事における満足度は『衛生要因・動機付け要因』によって決まると言われています。仕事の意義や裁量の大きさなど、いわゆる“やりがい”に結びつく『内的動機付け』はもちろん大事なのですが、同時に働く上での安全性や、対人関係、給与など働く環境の良さ、衛生要因も働く上での不満を解消する大事な要素なのです。

 




企業には求められるのは、登るべき山を示すこと

 

働く上での満足度という話から、企業のリテンション施策に話題が展開していく。IT企業に勤務する十河 翔は、今後働き方の自由度が増していくことでリテンションリスクも同時に高くなっていくのではないか、と懸念を示す。

 

十河:働き方の流動性が増した時に、これからの生き方を考えたら、この会社じゃなくていいやって思う人も増えてくるような気がしていて。社員のリテンションがもろくなってしまうのではないでしょうか。企業としては、そのようなリスクを是として働き方改革を推進すべきか、経営者の視点から仲さんはどう思われますか。

 

質問を受けて、仲は「必ずしもそうではない(働き方の自由化によってリテンションリスクは高まらない)と思う」と答える。まず大前提として「働き方の自由化」は世界的な潮流であり、このトレンドにあらがう企業は「古い会社」とみなされ、人々の賛同を得られないだろうと仲は言う。ウォンテッドリー株式会社でも、成果さえ出せれば、別にそのプロセスはあまり関係ない、つまり社員の「主体性」を尊重した考え方を大切にしているという。

 

仲:外資系に近い考え方ですね。会社によっては、プロセスをべったりサポートしてあげて、成果が出た人も出てない人もその差が出ないように一定に評価するという組織もあると思うんですけど、確かにそのような文化や体質を持った企業は、(自由な働き方が推奨される時代には)リテンションリスクは高まっていくのかもしれません。

 

昨今、リモートワークが浸透していく中で、遠隔からの従業員のマネジメントが課題となっているが、それも「プロセスを重視しない」評価システムにおいては、問題にはならないと仲は言う。

 

仲:弊社では6カ月ごとにレビューがあるので、極論6カ月間さぼることはできるかもしれないですけど、その後のレビューで赤裸々にその実態は明らかになります。また上司に見られていないのだとしても、360度評価など当社も含めてどこでもやっていると思うので、横の同僚には見られています。加えて言うと、最近はリファレンスチェックがしやすくなっているので、今いる企業で楽をして、その企業を辞めたらリセットされるのかというと、わりとそうでもない。なので、今後は一発勝負で面接を切り抜けられるという世界ではなく、それまでコツコツ貯めてきた貯金によって評価されていくし、キャリアの後ろになればなるほどエクスポネンシャルに定数がかかってくるし、正直者がわりを食わないような世界になっていくと思いますね。

 

仲がここで言う「正直者がわりを食わないような世界」とは、「成果」を出したものが正しく評価される世界のことである。最初のソゴウの問いに戻ると、働き方の自由度が増していく世界での有効なリテンション施策とは、仲の言葉を借りれば「やる気がある人をくじかない仕組み」「インセンティブ設計」であると言えそうだ。続けて仲は、今後の企業の運営の運用の仕方では「登るべき山を示すこと」も大事になってくると指摘する。

 

仲:細かいマイクロマネジメントができなくなってくるとはいえ、全員が迷子にならないように、この山を登っているんですよ、私たちはこういうスタイルで山を登るんですよというビジョンであったり、バリュー、行動規範であったりを耳にタコができるくらい言い聞かせて、それぞれが自分で判断ができるように意思判断基準を浸透させる。そこから、“さあ、行け!”と、山をいろんなルートから一気に登っていくみたいなことが大事かなと思います。


本橋彩(UoC フィールドディレクター)



「事業づくり」は「モノづくり」の延長にある

 

ここまで話を聞いて、社会人5年目だという小野田 豪祐は、「二極化」というフレーズをフックとして、自分を含めたミレニアル世代は、会社の中で肩書きを持った組織人としての成功よりも、個人としての成功を重視しているという見解を述べる。

 

小野田:ネットで個人が発信したり、インフルエンサーとして活躍したりする文化というのが根付いたミレニアルズの人たちは、会社でというよりも、個人としてどう生きるかということがテーマになっているのかなと、友人を見ていても思いますし、何より僕自身もそうです。最近では、サラリーマンとして4年半働いてきて、そろそろ個人としてもいろいろやっていきたいと思い、動画を作ったり、デザインをしたり、絵を描いたりクリエイティブな活動をしています。一方で、事業を作っていくということも“モノづくり”なのではないかとも考えています。仲さんも過去に漫画家を志望されていた時期があったそうですが、手を使ってモノづくりをすることと、事業を作ることに、何か共通点はあると思いますか。

 

その質問に、「オーディエンスの課題を解決する、ニーズにあったものを作るという意味においては、自分で何かを作ることと、事業を作ることはとても似ていますね」と仲も同意をする。その理由を説明するために示されたのが「プロダクト」「事業」「組織」という3段階のレイヤーだ。

 

例えばモノを作る時に、誰からの評価も望まない自己満足の作品は別として、アプリであれ、Webサービスであれ、動画であれ、顧客の課題に対してバリューを提供することができたら、結果として「プロダクト」が成立する。さらに、プロダクトを継続的に回していくためには、売り上げを作る必要があって、それは「事業」になる。事業も賞味期限があるので、その事業が高齢化してしおれてきた時に、次の事業を作るためには「組織」が必要となる。

 

仲:つまり長期的に見た場合は、事業も組織も、絵を描いたり、動画を作ったりするという意味での“クリエイティブ”とかなり近いんですよ。結論としては、何か作って発信していくというのは、顧客のニーズに応えていく訓練にもなると思いますし、私はいいと思いますね。

 




競争原理は、個人の「主体性」を阻害しない

 

続いて発言をしたのは、就職を控えて現在インターンを行っているという今回最年少の福永夏輝。福永はスウェーデンに留学した経験から、日本に主体性が持てている若者が少ないことを憂慮しているという。

 

福永:スウェーデン人の子は主体性というか、個としての主張がものすごく強いなと感じました。帰国した時に、『もっと日本の若者も主体性を持てるんじゃないか』とも思いつつ、組織的に主体性を生み出す仕組みというのはあると思うんですけど、私は主体性というものは結局自発的に生まれるものだとは思っています。この辺り、仲さんがどのように考えているかお伺いできますか。

 

仲は難しい質問だと返しつつ、方法論としては、個々人が主体性を発揮するためには、自分で意思決定ができる状況を作ることが大事であると回答する。自分で意思決定ができないと、考えることを放棄し、言われたことをやろうという受け身姿勢になってしまう。

 

仲:また、意思決定した結果、ペナルティーが課されるようなインセンティブ設計も、やる気をくじいてしまうのでよくないです。なので、自分で意思決定をして、かつ意思決定をした結果で評価されるというインセンティブがあると、自分で考えて動く人も増えていくのではないでしょうか。


パティシパントからも様々な考えが寄せられた


この話を受けて軽部は、働き方において「主体性」を大事にする時代になりつつあることはこれまでのディスカッションからも明白であるが、資本主義社会がベースとしている「競争」の原理は、個々人の主体性を阻害してしまうのではないだろうかと、問題を提起をする。競争原理に則った社会では、企業が社員に求めるのは「他社に競り勝つために売り上げを伸ばすこと」であり、個人の意志や主体性を伸ばすことでないだろうと。

 

軽部:競争というものが主体性を阻害している、でも競争で経済は成り立っている。すごい自己矛盾をはらんだような難しい時代のような気がするんですけど、競争と主体性っていうのは両立するのでしょうか。

 

これに対して仲は「主体性の定義というのが自分で考えて動くということだとすると、売り上げを上げるために自分で店をきれいにするみたいなのは“主体性”になりますか」と問い返す。つまり売り上げを伸ばすというゴールと、個々人の主体性相反するものではなく、売り上げを伸ばすためにどう動くか、その余白において一人一人は主体性を発揮できるというのである。

 

仲:例えばマクドナルドとかって、たぶんマニュアルで全部標準化されている働き方が推奨されていると思うので、ちょっと外れたことをやったら逆に時給が下がるみたいなインセンティブ設計になっていると思うんですけど。逆に主体的に動いたらインセンティブが発生するというような設計にすると、新しいことが起きるのかなと思いますね。

 




理想とするのは、頑張らなくてもいい働き方

 

セッションに最後に仲は、自身が考える幸福な働き方について次のように述べる。

 

仲:究極的にはやはり“辛いのを我慢しない”働き方ができるといいのかなと思っていまして(笑)。つらいけど頑張る、その我慢料として報酬をもらうみたいなのって、そんなにハッピーな働き方じゃないと思うんですよね。なので、自分が面白いと思うからのめり込んで夢中になった結果、凄く頑張っていて、その成果として、お給料が上がっていくみたいな状況を自分でも作っていきたいですし、世の中にもそういった会社を増やしていければいいなと思っています」


その理想は、これまで仲がディスカッションの中で提示してきた“創造的”な働き方と一致する。

 

仲:私がよく使うメタファーがあるんですけど、犬に対してボールを投げると、夢中で走って行きますよね。ボールに追いついて振り返ると、そこでようやく自分が100メートルも先に到達していたことに気づくんです。その間に、ああ疲れた、つらいなあなんて思わないんですよ。それが私にとっての理想の働き方だなと思います。

 




Director's Note

一人一人の人間があらゆる制約に縛られず自由意志によって理想的な働き方を選ぶ取ることができる世界は、もう目の前に来ている。仲さんの言葉を借りれば、それは「生きるために働くのではなく、働くために生きる」という、ある種の理想的な世界である。

 

新しい時代の到来に心躍る一方で、今回の5人のパティシパントたちの発言からは、未知の領域に対する戸惑いや不安の心情も垣間見ることができた。テクノロジーは確かに人々をエンパワメントし、私たちの可能性を押し広げてくれているが、それに加えて必要なのは、人間自身の内側からの「改革」なのかもしれない。

 

自分の人生の責任を自分で引き受け、一歩を踏み出す勇気。その小さな一歩を積み重ねていくことで、私たちはやがて途方もないほど遠い地点にたどり着けるのだろう。まるで、夢中でボールを追いかける犬のように。