REPORT
Sustainability

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2020.6.23 (TUE)
15:00 @
【レポート】この星で人類が豊かに生きていくための創造性とは?

新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が私たちの暮らしや社会、経済、自然と人間の関係性に対して強烈なアラートを鳴らした現在。私たちはこの時代をどう捉え、どう持続可能な社会を創造していけばいいのか?そこにはどんな可能性があるのか?
そんなUNIVERSITY of CREATIVITYのサステナビリティフィールドの「大前提」について異分野で活躍する4人のカタリストと共に語り合ったセッション。当フィールドの初心表明ともいえる"新しい創造性の海" についてキーワードを中心にお届けしたい。

#sustainability  #SDGs  #スペキュラティブデザイン  #進化思考 


「新しい手段って、だいたいエラーから生まれると思うんですよね。そのエラーを生み出す術って、もっと僕は教えたほうがいいことだと思うんですよ。」(太刀川)


「「人間が自然に害悪をもたらすガンである」という二十世紀的なエコ発想から、今後は『地球を守ろう』だけで終わらせずに、共創的で共進化的な関係を自然と作っていかなければならない。」(竹村)


「どうしたら豊かな「距離」の取り方ができるか、それを再考するところから、新しいクリエイティビティが生まれてくることもあるんじゃないか」(熊倉)


「次の具体的な社会を創るための第一歩は、アートやデザインを使って、世界に対して石を投げていくことだと思って入るんですが、それをどう次に、地に足を着けて続けていくことができるのかが大事なのでは」(長谷川)




持続可能な世界のための「新しい関係性の創造」


「We are All Born Creative.」を理念に、創造性を「世界創造の方法」としてアップデートしていく研究機関として9月に本開校予定のUNIVERSITY of CREATIVITY(UoC)。

 

サステナビリティフィールドでは「サステナブルな世界をつくる新しい創造性の土壌」を生み出すことをミッションに、土壌に様々な微生物がいて助け合っているように、いろんな越領域の方々と未来のための「創造性の種」を集め、発酵させ、多様な創造者と社会実装を生み出す生態系になっていくことを目指している。

 

その中で重要だと考えているのが「新しい関係性の創造」である。SDGs(国連が掲げた持続可能な世界のための開発目標)にしても、すべての目標はつながりあっている。つまり、それは各分野の専門化による文明の発展の影で失われた関係性をつなぎなおし、世界に多様性と循環性、バランスをとりもどすことでもある。



そんなわけで今回、アートとデザイン、サイエンスと領域の異なる4人と「SUSTAINABILITY—コロナ禍を経た今、持続可能性、SDGsをどう捉えるか。「NEW CREATIVITY0この星で人類が幸せに生きていくための創造性の”種”とは?」について語り合った。

 

 

「進化思考」—変異と関係の往復


デザインストラテジストで、NOSIGNER代表の太刀川英輔は、今回のコロナ禍でも、いち早くボランティアと共同運営するサイト「PAND AID(パンドエイド)」を立ち上げ、A4クリアファイルで作れるフェイスシールドの制作方法を掲載するなど、積極的な情報発信に努めてきた。

 

「今日のテーマは、まさに僕が15年くらいやってきたことでもあって、僕は未来を創造的な社会にするためにデザインで何ができるのか?をテーマに、大きく2つのことをやっているんです。1つは、「デザインで美しい関係性をつくる」ことで、もう1つが、クリエイティビティを持っている人をたくさん生むための「創造性教育」なんです。それを「進化思考」と名付けて、生物の進化と創造性はいかに似ているかという話をしてきたんですが、今日はその話を、ざっくりしますね。




「創造性について語ると、『天才の頭の中はよくわからん』とか創造性を持っている人と持っていない人がいて、持っている人にしか創造はできないとなりがちですよね。でも生物は、人間の創造したものよりはるかに洗練されているし、自然に調和して生態系を成してるけど、決して神様が意志をもって設計したのではない。生物の進化の仕組みは、種を次世代に残すために変わり続ける『変異』と、外界との『関係』の中で淘汰されることの繰り返しなんですね。だから、僕は創造性を因数分解すると、『変異』と『関係』の往復にある。そして、この2つは誰もが学べると思っています」


太刀川はこの2つのうちの『関係』を捉える方法として、生物学を元に4つの手法を挙げる。それは「解剖」して内部を見るか、「生態」系的に外部とのつながりを見るか、「系統」的に過去を見るか、フォアキャスティング的に未来の「予測」を働かせるかである。


「この中でいえば、サステナビリティは「予測」のなかのバックキャスティングの話なんです。でも、生物で自らの種が長期間に渡って生き残ることを予測しながら、つまりサステナビリティを考えながら生きている生物はいない。ただ、人間は予測ができるから「このままいくとヤバイから、サステナビリティを考えなきゃ」となるし、それは正しい。僕もサステナブルな事例はいっぱいつくろうとしています。でも、サステナビリティって生態系的には考えにくいんですよ。本能的にそういう風に考えるようにできてないから。だから、重要なのはサステナビリティを考えることじゃなくて、目の前にあるものを活かしてきるとか、効率を上げ続けるとか、系統的に目的に叶って進化が淘汰されるように設計することによって、状況にちゃんと「適応」して無駄をなくすことだと思います。要するに、僕らは目の前にある状況に対して、最適化できてない。いろんなものを買って、捨てて、膨大なムダがそこに発生している。


なぜ僕らがうまく適応できないかというと、動物は基本的に自分の目が見える範囲、耳で聞こえる範囲、センスできる範囲の生態系にしか頼らないんですよ。遠くから材料を調達するという考え方を持っている動物なんて、人間以外にはいないわけです。動物は目の前にあるものを食べるしかないけど、人間は遠くのものに頼ることができるようになった。いわば、グローバリズムです。誰でも目の前でひどい臭いを発してたり、森林火災があれば流石にまずいとなるけど、遠くで起きていれば気づかずに済んでしまう。誰だって良心は持っているし調和的でありたいのに、目の前で起こっていないからわからない。要するに、僕らの感覚器官に限界があるわけです。これを越えなきゃいけない。僕らが遠くのものに頼るようになった以上、遠くのものをセンスできるようにならなきゃいけないと思うんです」



Creativity 3.0—人間と自然が「共−創造 」する関係へ


元慶應義塾大学教授で、従来の現代美術を越える新しい藝術や創造のあり方を探求した『藝術2.0』の著者、熊倉敬聡はまず、世界の指導者がコロナ対応において、「我々は戦争状態にある」「コロナは敵だ」と繰り返したことに違和感を覚えたと言う。




「今回のコロナの状況が深刻化するなか、日本も含めて各国の首脳が国民に向けた演説で非常に気になったことがありました。例えば、フランスのマクロン大統領は「われわれは戦争状態にあります」というフレーズを6回繰り返した。マクロンだけではなく、トランプを始め、当時の各国の首脳はコロナと人間の関係を「戦争」というメタファーを用いて「コロナは敵だ」、人間がそれを打ち倒さないと逆に殺されてしまうという風に、敵対関係で捉えていたんですね。ガイアの危機を警告していたフランスの哲学者、ブルーノ・ラトゥールも根本的には同様でした。それに対して僕は曰く言い難い違和感を覚えたんですね。
 
人間と自然は殺し合うとか、戦争をするだけではなくて、共に恵み合う関係も紡いできた。人間とガイア(地球)はずっと共に創造(Co-Create)し続けてきた。そのバランスが近代において極端に崩れてしまい、いまや極点を超えてしまったかもしれない。それで、新型コロナウイルスだけじゃなくて、オーストラリアの山火事だとか、グリーンランドの氷床が溶けたりなど、いろいろなことが起きてるわけです。そうしたときに、「戦争」という考え方も緊急事態には必要かもしれませんが、長期的なスパンで見た場合には、人間と自然がどうやって恵みあいの関係をつくっていくか、地球を共−創造していくかということが非常に重要だと思っています」

 

自然を「敵」として戦い、制圧するのではなく、いかに自然と共に新しい創造性を模索していくか。そうした問題意識のうえで熊倉が唱えるのが、「Creativity 3.0」だ。



「創造性の歴史を考えると、最初のCreativity1.0は神話が語るところの「神による創造」であり、特にユダヤ・キリスト教世界においては、唯一絶対の神によって万物が創造がされ、その世界観の中では、人間もまた神の被造物の一つでした。しかし、西欧近代において第二の創造性=Creativity2.0が登場します。人間が、いわば創造主である神を殺して、代わりに世界を創造するという発想です。その具体的な現れが、資本主義的産業とアートでした。

このCreativity 2.0が今歴史的限界に来ている。資本主義はますます環境と折り合いがつかず、貧富の格差も増大させている。アートもまた歴史的使命を終えつつある。この星でこれから人類は豊かに生きていくためにどうしたらいいのか?となっている。そんなこれからの創造性を「Creativity 3.0」と捉え、UoCで皆さんと探っていきたい。Creativity3.0の鍵は「人間と自然とのco-creation(共−創造)」になると思いますが、それを探求している多分野のクリエイターたちをゲストに迎えて、近藤さんと一緒にやるFERMENTで参加者の皆さんと研究するだけでなく実際に体験もしていきたいと考えています(9月26日から全8回の連続講座FERMENTとして開催)。

 

 

スペキュラティブデザインー未来を拡張するために

 

アーティストの長谷川愛からは、サステナブルな未来のための「スペキュラティブ・デザイン」の紹介があった。「スペキュラティブ・デザイン」とは、従来のように問題解決や生産のためや消費者に買わせるためのデザインではなく、批判的に問題発見したり、疑問を提起して市民に考えさせる態度やデザインだ。また、一見「望ましい」「起こりそう」と可能性が高そうに見える未来に対してーー例えばブレクジットやトランプ大統領の選挙の結果のようにーー「起こってもおかしくない」「起こりうる」、より広い未来を妄想し、テクノロジーとそれを使う権力構造を解き明かしながら、見える形にする方法論でもある。




例えば長谷川の「I Wanna Deliver a Dolphin…(私はイルカを生みたい)」という作品では、そもそも彼女が「私は子どもが欲しいのか?」と考えたところから始まったと言う。
 
「私は子どもが欲しいのか?考えているうちに、これ以上人間を増やしてどうなるのか?先進国で子どもを産み育てることの環境負荷の問題や、発展途上国に見えない奴隷をつくるようなものだとか、そういったことがどんどんわかってきて、それでも無邪気に子どもが欲しいとは言えなくなってきた。そして、妄想を広げるうちに「人間の食生活のために絶滅の危機に瀕している海の生物を、自分が代理母になって生めたらどうだろうか?」という発想から、女性がイルカの子どもを生むことをシミュレーションして映像作品が生まれたと言う。


いわば、スペキュラティヴ・デザインは、SFや科学小説のようにオルタナティブな未来の可能性を開いていく方法論でもある。ロンドン出身のアーティスト、トーマス・トウェイツが手掛けた「GoatMan」のプロジェクトでは、仕事や私生活に悩んだトウェイツが、そこから解放されるために「人間がどうしたら山羊になれるのか」を最新のテクノロジーや科学的リサーチを通じて自ら実践し、ドキュメンタリー書籍に落とし込んだという。

 

「普通、私たちは“最新のテクノロジーを使う”というと、スーパーマンみたいに、いまの自分よりも進化した状態をイメージすると思います。でも、彼は人工装具を使って四足歩行をしてみたり、草から栄養を摂る装置を開発してみたり、言語野をミュートして喋れなくしてみたりと、最先端の技術を使ってヤギになりきっちゃう。彼のような『こういうふうに世界を見たらいいんじゃないか?』という提案は、私の中でものすごく重要なクリエイティビティとしてあります」

 


サステナビリティを三人称から二人称、一人称に


長谷川の紹介した事例や思考法を受けて、文化人類学者の竹村真一は「三人称的な視点から、二人称、一人称的視点」への転換の重要性を強調する。

 

「『地球を守ろう』とか『地球を開発していこう』って言うのはどちらも地球を『対象』

として見る考え方ですよね。『自分』はあくまでこっち側にいて、『自然』は向こう側にある。でも、長谷川さんの事例で面白かったのは、イルカの子どもを産むでも、GoatManになるにしても、二人称、一人称にしてるんですね。アートという表現の中に、他の生命とか生態系との関係を二人称化するとか一人称化する非常に貴重な提案がある。これはwith/after コロナを考えるうえで本質的なことだと思います」



「そもそも、コロナ以前から人間と地球の関係は限界に近い状態に来ていたわけです。20世紀後半からわずか60年で人口が50億人ぐらい増え、コロナ以前に毎日2万人が大気汚染による呼吸器障害で亡くなる世界が続いていた。いまや地球上の大型動物の98%が人間とその家畜で野生動物は残り2%。人類が地球においてとてつもなく巨大な存在になってしまった、この変化のスピード感がまったく共有されていない。コロナなど新型感染症のアウトブレイクが近年頻発している背景にも、熱帯林や湿地の過剰開発など地球自然と人間界の距離感の撹乱がある。それに対して『地球を守ろう』という三人称な態度ではもはや追いつけないところにいることが、コロナによって見える化されたのだと思います。単に、CO2やプラスチックゴミを減らしさえすれば持続可能なのではない。人間が悪さをしなければ地球はサステナブルになるというのは、根本的に地球を生きたシステムとして考えていないと思います。

 

私はコロナ禍によって「3つの距離」が問われたと思います。1つ目は、「都市の3密構造における距離」。いろんな意味で都市集中による「近さ」という距離が問われた。2つ目は、「遠い」システムというか、遠くからエネルギーや食糧や人(労働者)を運んで来るグローバル経済の距離の問題。3つ目が「生態学的な距離」。野生生態系と人間界の外的な距離、また食肉産業にみるような動物と人間のブラックボックス化された関係だけでなく、自分自身の身体との距離や腸内細菌、抗生物質の過剰使用による耐性菌の問題など、生命系全体との距離感。根本的に問われているのは、これまでの経済やビジネス、我々のデザインが、人間界に閉じた発想だったということだと思います。つまり、コロナ禍で問われたのは『人間界に閉じた発想・デザイン』なのだと」

 

 


異物と共に進化するクリエイティブな適応


では、これからのクリエイティビティとはどこから来るのか?竹村は人類の創造性による革命が、常に気候変動など大きな環境変化への適応から生まれてきたと言う。



 「実は人類の歴史的な飛躍はたいてい気候変動期に起こっています。農耕革命も、気候変動へのクリエイティブな“適応”でした。人類が知的だから小麦や大麦の栽培を計画的に始めたわけではなく、気候が突然寒冷化・乾燥化して豊かな森も食糧もなくなったので、それまで見向きもしなかったぺんぺん草のようなイネ科の植物の活用を真剣に考えたんです。今や「エコ社会」の代名詞のようになった江戸時代も、最初から環境に配慮した社会ではなかった。ジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』によると、江戸時代も当初は、経済成長と平和による人口増大により、当時のエネルギー源である薪炭を伐り出す森林も壊滅状態にあった。そうした状況に対して、幕府が森を復活させるために管理を徹底し、省エネ型の火鉢や糞尿まで含めた廃棄物のリサイクルが進んだ。環境や資源の制約に直面して、クリエイティブになることでサステナビリティをデザインしていったわけです。

 

「自然界にゴミはない」「ゴミはデザインの失敗だ」という言い方もありますが、そもそもは自然だって最初からゴミを分解してリサイクルできたわけではない。石炭紀(3億6000万年前~3億年前)と呼ばれる時代には、まだ樹木のリグニンを分解する菌類がいなかったから森にゴミが堆積して、大量の石炭が生まれました。樹木を完全に分解する菌類が登場するのは白亜紀(1億4500万年前~6600万年前)以降。つまり、すごく調和が取れているように見える自然もアンバランスさの中で持続可能性を実現するために、クリエイティブな適応を続けてきたわけです。よく『環境に適合した生物が生き残る』と言うけれど、進化はそんな単純なものではなく、進化の過程で異物が出てくるんですね。地球の歴史はそうした「異物と共に進化」しながら、関係性をクリエイティブに再調整することで新たなバランスを創造し続けてきたわけです。

 

はっきり言えるのは、人類は「地球のOSを変える」ほどの影響力を持つ、唯一にして最初の存在ではないということです。酸素のなかった地球を猛毒の酸素で満たしたシアノバクテリアから、木材廃棄物の山を築いた陸上植物まで、生物が幾度も地球のOSを変えてきた。人類のユニークさは、その自分が起こしている変化を現在進行形で自覚し、変えうる未来をクリエイティブにイメージできる点にあります。

だからこそ、「人間が自然に害悪をもたらすガンである」という二十世紀的なエコ発想から、今後は『地球を守ろう』だけで終わらせずに、共創的で共進化的な関係を自然と作っていかなければならない。現代はそれを二人称的、一人称的な次元まで高めていくモードにジャンプできるところにいるのだと思います」

 


人間中心的から、多中心的な創造へ


ここまでの4人の話に通底していたのは、コロナ禍以前からの「持続可能ではなかった現代」を生んできた人間中心的な思考の限界と、人間以外の多様な生命を含む多中心的な創造のあり方が求められているという認識だ。太刀川の以下の言葉がそれを端的に語る。

 

「必要なのは、自分の身の周りしかわからない人間が、どうやって遠くの関係性を自分ごと化するかですよね。どの生物も身の周りのものしか視覚できないわけですが、人間は地球への影響力が大きすぎるので、自分たちの範囲以上のことを考えなければならない。その意味でも、人間中心的な時代は終わって、多中心的に、他の無数の中心の存在にも気づかなきゃいけないのだと思います」

 

人間が見過ごしてきた生命は「外」だけではなく「内」にもある。熊倉は語る。

 

「ダンスをやっていると自分の中に眠っていた動物性が蘇ってくるんですね。私たちは普段、そういう感覚を眠らせているけど、ダンスに限らず、感度を上げるアプローチをいろいろしていけば、人間以外のものとの関係性への感覚を目覚めさせることができる。例えば、味噌を作ると、段々と麹菌と会話しているような気がしてくる。そういう感性が、サステナビリティを考えるうえで大事になってくるのではないか」

 

長谷川からは、「脱人間中心的な考え方でサステナブルな社会をつくっていくために、どう行動を起こしていけばいいのか。もしかすると政治的な行動をするのが一番早いのかもしれない。でも、すべての人が政治に関心があるわけではないですし、それぞれが自分の適性をうまく“最大効率化“して組み合わせて多様な文化を創っていくことが大切なのかなと思ったりしました。私自身は、次の具体的な社会を創るための第一歩は、アートやデザインを使って、世界に対して石を投げていくことだと思って入るんですが、それをどう次に、地に足を着けて続けていくことができるのかが大事なのでは」
 

まさに、UoCではアート、サイエンス、デザイン、エンジニアリングと領域によって分断されている創造性をつなぎながら持続可能な社会に向けた実装を生み出していければと考えている。



「悪魔祓い」「曼荼羅」—人間界に閉じないインクルーシブ
 

人間界に閉じない多中心的な創造を考えていくうえで、文化人類学者の竹村からは世界各地に見られる「悪魔払い」や「曼荼羅」の例も出された。
 
「コロナ以降に話題となっている腸内細菌や皮膚常在菌の話もそうですけど、これからは多様なものとパートナーシップを持つ、人間界に閉じないインクルーシブが大事だと思っています。SDGsのパートナーシップは、まだ人間界に閉じた発想。コロナでも三密を避けてウイルスとも『弱毒性』の関係をつくっていって、それによって多様な感染症への防波堤を、多様な病原体とのパートナーシップで構築していく。味方を増やしていく。
人類学でフィールドワークをしてると、伝統文化のなかにそうした発想を見つけることが多くあります。たとえば「悪魔祓い」ってそういう発想なんですよね。「悪魔祓い」って、悪魔をやっつけちゃうのではなくて、なだめて「お前は本来そんな悪いやつじゃないだろう」と言って、自分の味方に抱合していく、取り込んでいくインクルーシブなアプローチなんです。結果的に悪魔が自分の味方になって終わるというのが悪魔祓いの儀式のだいたいのパターンなんですね。
 
インドなどで、そういう伝統からできていったのが曼荼羅なんですよ。UoCでも今日のセッションのことを『MANDALA』とメタファーで呼んでいるけど、アジアの曼荼羅って、真ん中に大日如来だの仏様がいたり周りにいろいろな神様がいるけど、一番周辺部には餓鬼畜生とか、奇妙奇天烈なものがいるんですよね。ああゆう雑多な存在を排除しないというのは、キリスト教的な善悪二元論との対比で、多様性を包含すると言われて終わっちゃうのが残念なんですけど、実はもっと動的なプロセスなんですよね。つまり敵と味方に分けない、二元論じゃないよ、というスタティック(静的)な発想ではなくて、どんどん未知の異物と、二人称の関わりを、なるべくスローな関係性をつくっていって、日々そういう新しい関係を更新していく、そういうクリエイティブな自己脱構築のプロセスの鏡としてああいう曼荼羅っていうのがあって。で、常にだから曼荼羅っていうのは、完成形はないはずなんですよ。つねに更新されてかなきゃいけないものなので、我々のからだや地球生命系と同様、曼荼羅はつねに運動体としてあるわけですね。

 

 


「欲望の系統樹」多様な生物と共生関係をつくる


ディスカッションは終わらない。人間が多様な生命と二人称的な対話をしていくヒントとして太刀川から紹介されたのが「欲望の系統樹」という仮説だ。

 
「最近、進化思考の本を書いていて、生物がどうやって欲求を獲得していったかという仮説として「欲求の系統図」というコンセプトを提唱してみているんです。例えば、ミトコンドリアが発展して他のものを食べたときのエネルギー変換ができるようになってから「食べたい」という欲求が生まれ、有性生殖するようになってから「モテたい」とか出てきた。基本的に有性生殖できる生物は、クジャクも、ヤンキーもモテたいですから(笑)。系統図で分岐した先の欲求には共通のものがあると思ってるんですよ。例えば哺乳類だったら子育て前提になるから、「子育てをしたい」と思うようになって、その先に「コミュニティをつくろう」みたいな欲求が生まれてくる。つまり系統図に分岐があったところに欲求が発生してるんじゃないのかと。だから、その欲求を系統図でたどってみれば、自分とは遠い生物の欲求も読み取れるんじゃないか。これって人間と他の生物の共感をつなぐ上で、すごく重要なものだと思うんですよ。
 
種の起源も一緒で、いろんな環境への適応で分岐してってるんだけど、哺乳類ぐらいになると、ほとんどっていうと、かなり雑ですけど(笑)、進化上で獲得してきた本能的欲求という意味では極めて近い。(哺乳類ならだいたい)モテたいし、腹減るし、子育てしたいし、排泄したいし、痛いのは嫌だし‥‥そういうことって、僕らが他者としての他の生物を理解する上での根源的な共通性を見ることでもあり、人間だけの範囲じゃなく、自然を自分ごととして自分にも自然の部分があるという視点を持つという意味で大事なんじゃないかと思っています」

それに対し、竹村からは「『欲望の系統樹』という考え方は非常に面白いですね。人間に進化したところから『知りたい』という欲求も生まれたのではないか。人間は動物と違って、生きることに役に立たないことでも知りたいですよね。その延長上に、食べることにもモテることにもつながらないかもしれないけど、『見たい』という欲求も生まれたんじゃないかと思います」という話があった。そして、自らの実践例として地球目線で見て考える、文字通りの「地球人」を育てたい、という思いから開発された世界初のインタラクティブなデジタル地球儀「触れる地球」の例を挙げた。

 

「触れる地球」は地球儀型のディスプレイに、地球の温暖化や台風・津波の発生過程、渡り鳥の移動など、地球の変化を示すデータを映し出すものですが、それで見ているとたとえば台風も、海水温の高い海域では確かに発達するものの、台風が過ぎ行く航跡に沿って「海を冷やしながら」進んでいくのが見えるんですね。台風は巨大なミキサーで海をかき混ぜて、冷たくミネラル豊かな深層水を浮上させるので、そのあとの海は豊かになる。単なる科学データではない、地球の体調と体温の変化がこうしてリアルにわかる。地球を三人称の対象でなく、二人称的に感じ取る、そういう地球とのコミュニケーション回路をもった世代がこれから育つのではないか。

 

 


創造的な「エラー」の必要性


太刀川はさらに、人間が自然との共生関係を創造していくための創造的「エラー」の必要性を語る。
 
「例えば、我々が自然との共生関係を築かなきゃという新しい問いに出会った時に、その問いの答え方ってさまざまな方法が当然ある、一つの答えでは当然ないわけですよね、生物も適応の方法は無限にあって、向こうも別に完成してる生物っていないですよね。全部、あらゆる道具もそうで、一つの目的に対して、複数の道具としての回答があることって、いくらでもある、僕は横浜に住んでるけど車でも、電車でも、東京に行くことができる。同じ目的に別の手段がある。でも、新しい手段って、だいたいエラーから生まれると思うんですよね、いまのものとは違う、何か別の方法として出てくる。もちろんそのエラーがある程度、確度が高いからちゃんと使われるようになるんですけど、そのエラーを生み出す術って、もっと僕は教えたほうがいいことだと思うんですよ。それは練習できることだから。
 
例えば、「触れるようにする」であれば「触れる地球」だったり、僕も「触れる月」をデザインしたことがあるんですが———他にも「サイズを変える」こともあれば、「何かがない状態を考える」ということや、「イノベーション」という言葉を生んだ(ヨーゼフ・)シュンペーターの「新結合」のように「何かと何かを融合してみる」ということもある。
つまり、エラーの起こり方、「変異」にはパターンがあって、同じ目的のためにいろんなエラーを起こしてみるべきなんですよ、どの手段がハマるのかは状況によって違うから。小学校にハマるのはこれかもしれないし、大企業にハマるのはこれかもしれない。SDGsは大企業に文脈的にハマりやすかったらスムーズに採用されたのかもしれないし、やり方は本当にいろいろある。
だから、正しい目的が見つかったら、とりあえずエラーを起こそうと「試す」ことがすごくクリエイティブだし、重要なことだなと思っているんですが、それをどうすれば「やっていいんだ」とみんなが思うようにできるか。あるいは、「自分にも可能な方法がある」ということを「知る」ことが創造性を教える上でも大事なんじゃないか。まずは「変えられる」し「変えていい」ということを知ること。そのためにも「変えちゃいけない」と思っているバイアスをいかに外せるかが大事なのだと思います」
 

 

社会的距離をクリエイティブにすり替える


先に竹村からコロナ禍で問われた「3つの距離」の話もあったが、熊倉からも「距離」を日本の伝統とつなげて再考するところに創造の可能性があるという意見が出された。
 
「三密を回避する「ソーシャル・ディスタンス」は、あくまでウイルス対策の規制の一つですけど、元々人間と人間との社会的距離というのは国や地域によって、あるいは時代によってもことなるものなんですね。日本では、例えば茶道が「ソーシャル・ディスタンス」を美的な距離として突き詰めたんだと思うんですよね。茶室へのアプローチや茶室での人と人、人と物、物と物との距離を、繊細な強度として探求した。でもそれは単なる「美的」な距離だけではなくて、疫病などを含めた不浄をどうやって浄めるか。つくばいで手を洗うことから始まって、袱紗で道具を浄めることまで、周到にプログラムされている。疫病が続発した京都では、美の追求だけではなくて、同時に衛生の在り方も練られていた。だからといって、単に今茶道を復活させたらいいと言っているのではなく、この21世紀の東京のど真ん中で、どうしたら豊かな「距離」の取り方ができるか、それを再考するところから、新しいクリエイティビティが生まれてくることもあるんじゃないかと思います。
 
これまでの大都市は人との「距離」の取り方に対して非常に鈍感にならざるを得なかったわけですよね。例えば僕も長年東京に住んでいましたけれども、満員電車に毎日乗っていれば、ソーシャルディスタンスの感覚を限りなく鈍化させないと、生存できないですよね。そういう所だからこそ、そして今改めて「ソーシャル・ディスタンス」が問題になっているからこそ、それをクリエイティブな方向に発想を転換していくというのも面白いなと思いました」
 

[進行/UoCフィールドディレクター ]
近藤ヒデノリ(サスティナビリティ領域長)
河村和紀(サスティナビリティ副領域長)




 

Director's Note

UoC、サステナビリティフィールドのオープニングセッションとなった今回は時間延長して2時間半。書き起こしの文字量は5万字を超えた。
 
全世界を襲い続けているコロナ禍によって改めて気づかされた、人類がいかに自然と共生的関係を築いていけるかという問い。「人間中心的」思考の限界と、多様な生命を含めた「多中心的思考」による創造の可能性。サステナビリティを三人称ではなく、二人称、一人称化していく創造性。そうした今回のセッションで語られたキーワードは、これから持続可能を創造していくために、すべての人に開かれた補助線である。
 
人類史のなかで創造性は常に危機への適応として生まれてきたという。そして、心を同じくする創造的実践がすでに日本中、世界中ですでに多く出始めている。UoCの役割はそうした無数の創造性の種を拾い集め、発酵させ、大きな渦にしていくことだ。竹村さんの「どうせ屈むなら、遠くへジャンプしよう」という言葉とともにみんなと、自然と、共創しながら歩み始めたいと思う。
 
We are ALL born Creative!
 
近藤ヒデノリ

UNIVERSITY of CREATIVITY

Sustainability Field Director